2008年9月25日 (木)
フリードリヒの絵は、そこに描かれているものが風景であれ室内の光景であれ、見る者に「人間の孤独」ということを否応なく感じさせる。
しかし人間の孤独を描いた絵が、何でそんなにも見る者の心を癒すのだろう。
寺田寅彦が亡くなった時、同じ漱石門下の小宮豊隆はこんな弔辞を読んだという。
「君は実に孤独な人間だった。だがその君と人間の孤独について語り合う時、僕は人生の深い味わいと喜びを感じた・・・」
私にとって、フリードリヒの絵はそのような思いを
与えてくれる存在だ。
※ 左上の画は「月を見る男と女」。
これによく似た画想の作品が、NYのメトロポリタン美術館にある。
2008年9月24日 (水)
アメリカ社会の中で日本の存在感が薄くなっている、という話をあちこちで聞きます。良いか悪いかは別にして、あのバブル時代の日本のアメリカにおける存在感を知っている者からすると、たしかに「日本は随分おとなしくなったなあ」と感じます。
家の近くにコロンビア大学があって、時々散歩で訪れるのですが、英語以外聞こえてくる言葉は中国語や韓国語ばかり。先輩や留学斡旋業者らしい人に連れられた中国や韓国の若者たちが、ひっきりなしにキャンパス内を行き来しています。
最近、日本の若者は外国を旅したり、まして留学したりするのを敬遠するようになってきたそうですが、隣国の青年たちのああした光景を目の当りにすると、ちょっと寂しい気分にもなってきます。
2008年9月24日 (水)
9月21日の日曜日、今年限りで廃止されることが決まっているヤンキースタジアムで、MLBの最後の試合が行われました。試合に先立って催された記念イベントを、テレビでご覧になった方も多いことでしょう。
私も見ていたのですが、往年の名選手や家族を球場に招き、現役のプレイヤーと一緒に同じグラウンドの上に立ってもらうという構成と演出が感動的でした。
いきなり政治の話になりますが、ホワイトハウスの記者会見では、最も先任の記者が質問の口火を切るのが慣例ですね。「先輩を立てる」とか「現在自分たちがあるのは、これまでを築いてくれた先人たちのおかげだ」といった考え方は、今やひょっとしたら日本よりもアメリカの方にあるのではないかとさえ感じます。
MLBのオールスター戦では、往年の名選手が「名誉キャプテン」を務める制度もあります。日本でもこういったことをやればいいのにと思ったりします。