メロディーの喪失?
2009年1月 2日 (金)
皆様、どのように新年を迎えられたでしょうか。ご親戚やお友達と集まって、楽しい時間をすごされた方も多いことでしょう。私は先輩に誘われて、新年を迎えるパーティーに参加させていただきました。
「パーティーの最大のご馳走は会話だ」という言葉がありますが、私も折角の機会ですので、ふだんお会いする機会のない方々と積極的に話しました。中でも、現代音楽などを演奏される新進気鋭のピアニストの方とお目にかかったので、前から専門家に一度聞いてみたかった質問をしてみました。
それは「現代の音楽家は『メロディーの喪失』ということをどのように感じているのか」ということです。
コンサートへ行くと現代音楽の曲が掛かることも少なくありませんが、観衆の反応は、その後に演奏される3Bなどの古典を待って、何か手持ち無沙汰で(あるいは義理で?)聴いているという感じの時が少なくありません。
観客が現代音楽に馴染めないと思われる最大の原因は、「そこにメロディーが感じられないか、感じ取りにくい」ということではないでしょうか。パーティーで会った音楽家に、私は現代の音楽家はこの問題をどう思うか、訊ねてみました。また、「古典音楽を演奏する人の中には、自分が作曲家として作曲をする場合は、メロディーがあまり感じられない音楽を作る人もいる。その人はそれらふたつの要素を自分の中に矛盾なく並存させているのか」ということも質問してみました。
私の問いに対してピアニストの方は、「現代音楽にメロディーがなくなっているとは思わない。それはメロディーとはどういうものか、という定義や受け取り方の問題ではないのか」と話していました。バッハやベートーヴェンの時代でも、彼等は「こんな余計な音のくっついた音楽は・・・」とかよく言われたではないか、というのです。
「古典音楽の演奏家にして現代音楽の作曲家」という人も、上のような理由から、自分の中に殊更、矛盾は感じていないのではないか、というのが答でした。
成程、音楽の専門家からするとそういうことになるのでしょうが、アマチュアから見るとなかなか100%納得するのが難しい説明でした。文学も絵画も音楽も映画も放送も、それぞれのジャンルは、それぞれでなければ表現できないものを表現すればいい、と私は素朴に考えています。私はベートーヴェンが好きですが、文学に音を付けたという印象がないことはない晩年の音楽より、音楽でなければ実現できないものを表現した(メロディーを存分に発揮した)中期の作品の方を好みます。
年越しのパーティーで話すには理屈っぽすぎる話だったかもしれません。

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