2010年3月31日 (水)
先日のこの欄でベートーヴェンの第5交響曲のことに触れたら、何人もの方が「自分もベートーヴェンをずっと聴いているんだ」と、声を掛けて下さいました。中には「ベートーヴェンは自分の悩みを正当化するからねえ」と、訳の分からない(?)感想を口にされた方もいました。
人を好きになることに理由はないように、どんな作曲家に惹かれるかといったことにも理屈はないのでしょう。ただ、私がベートーヴェンを好きになったわけをあえて挙げれば、彼が間違いなく努力型の天才だったこと、その音楽は構成がはっきりしており、隅々まで緊張感が漲っていることなどでしょうか。
ベートーヴェンの音楽の持つ緊張感について、こんなな話を聞いたことががあります。
1941年6月、ヒトラーのナチスドイツが独ソ不可侵条約を破って、突如ソ連に侵攻した時のこと。緊急ニュースに続いて、ドイツのラジオが放送したのはこの5番だったのだそうです。そして、ソ連側のモスクワ放送が開戦の第一報を速報したあと流したのも、同じこの第5番でした。今戦っているその相手国の音楽を!
それだけの重い瞬間を支えられると考えられた音楽は、誰が考えてもこの第5交響曲しかなかったということなのでしょう。ベートーヴェンにとっては迷惑千万な話でしょうが、こんなエピソードもこの曲の魅力と魔力を語ってくれるようです。
2010年3月26日 (金)
「人を侵さず人に侵されず」というふうに生きていきたいものですが、組織や社会の中で暮らしていると、やむを得ず言いたくもないことを口にしなければならないことも起きてきます。
以前の職場で、チンタラチンタラ仕事をしている若い人に、「そろそろ君も発奮すべき時期にさしかかっているんじゃないか」というような話をした時のことです。
まともに聞いてくれて有難かったのですが、最後に「あのひとついいでしょうか。そのプンプンというのは私に腹を立てているということでしょうか」と言われて、ガクッとなりました。そして、「発奮」などという言葉はもう死語になっているのだなと思いました。
私がこの言葉を知ったのは、山本有三氏の『ミレーのハップン(発奮)』という、年少者向けの文章を読んだのがきっかけでした。
売れない画家だったミレーは、心ならずも裸体画を描いて糊口をしのいでいました。ある日、自分の作品が出ている画廊の前に立っていた時のこと。隣で自分の画を見ているた男たちの会話が、彼の耳に飛び込んできました。
「ミレー?聞かない名前だな。どんな画家なんだい」「女の汚い裸ばかり描いている男さ」
それを聞いたミレーは直ちにパリを離れ、念願としていた農村の暮らしを描く道に突き進んだというのです。
先日、NYのメトロポリタン美術館で久しぶりにミレーの画に接して、大昔に読んだこの文章のことを思い出しました。
この世の中、きれいなことばかりは言っていられないのですから、せめて少年の時は感動とか友情とか、そうしたことを描いた文章や作品に接したり導いたりする方がいいのではないか。そんなことを思いました。
2010年3月19日 (金)
これまでの人生の中で、最も繰り返し聞いた音楽はと言えば、多分ベートーベンの交響曲第3番と5番だと思います。何百回も聴いてきたはずなのに、聞くたびに新たな発見と感動があります。
先日、NYのカーネギーホール(写真)で、バレンボイム指揮、ウィーンフィルの5番を聞く機会がありました。きらきらと輝くような演奏で、オーケストラも聴衆も、現代音楽の時とは違ったノリに心地良く浸ることができました。
ひとつだけ困ったのは、ひとつの楽章が終わるたび、後ろの席にいた音楽通らしい日本人男性の「ウン、今の楽章は何分何秒。この前のNYフィルの5番の時は何分だったな」という「ご説明」が聞こえてきたことです。
何度も耳にしているうち、何やら陸上の中継でラップタイムを聞かされているような気分になってきました。日本人の音楽ファンは皆お行儀が良くて、どこでも評判は上々ですが、こういうのはどうも・・・。その若い男性は女性と一緒のようでしたから、ちょっと肩に力が入っていたのかもしれません。
2010年3月12日 (金)
この欄をご覧いただいている方から、「内容はともかく、時々引用される文章や詩歌のところはいいね」という評をいただいたことがあります。毎週書いている側からすれば、どんな部分であれ、反応があるというのは嬉しいものです。
この引用というのは、案外(?)重要なものかもしれず、イギリスの歴史家だったかに、「引用によって人類の知識と知恵は受け継がれていく」という言葉がありました。
本当に、切れ味の良い引用が散りばめられた本というのは魅力がありますね。
昔番組を作っていた頃、先輩から「資料を引用するなら必ず原典にあたれよ。『孫引き』は絶対だめだぞ」と厳しく指導されました。その時は「孫引き」という言葉も知らず、あとでこっそり字引を引いたことを覚えています。
上の歴史家の言葉も孫引きで知ったのかもしれません。先輩に怒られるだろうなあ。
(写真はNY公共図書館)
2010年3月 8日 (月)
会社の同僚に毎日ペンシルベニア州から通勤して来ている人がいます。自宅から会社までdoor to doorで2時間。東京だったら珍しくないかもしれませんが、アメリカではきわめて長い通勤時間と言ってよいでしょう。
彼によれば、「電車の中でパソコンを打ったりするので、通勤時間がほとんど仕事時間になっている」とのことで、毎日の往復4時間をそんなに苦にしている様子でもありません。
ただ、週の後半になってくるとさすがにバテてくるようで、「朝5時半に起きると、ベッドの端に座ってじっと何分かうつむいて、その後エイヤッと立ち上がるんだ」と話していました。その気持、わかりますね。私も木曜、金曜になってくると、朝同じようなことをしていますから。
同僚のその話を聞いて思い出したのが、英語のget up on the wrong side of the bed という熟語です。「いつも決めているのと違う側から起き上がると気色が悪い」ということから、「ご機嫌斜めだ」という意味なのだそうです。
面白い言い方だと思って記憶していたのですが、アメリカ人が本当に使うかどうかは確かめたことがありません。日本での学生時代に覚えた熟語をアメリカで使ったら、アメリカ人に「そんな言い方は初めて聞いた」と言われたことは何回もありますから。
ただし、私は熟語や文法をちゃんと勉強しないまま、最初から実用的、口語的言い回しばかりを始める一部の語学教育には反発しているのですが。