2010年2月13日 (土)

ケンタッキーにお邪魔した時のことを先日書きました。「旅は3回する」と言いますが、旅に出る前、旅行している間だけでなく、帰ってからも、いや後の方が深く旅をしている感じがします。
ケンタッキーは私にとって、フォスターの名曲『ケンタッキーの我が家』のイメージと切っても切り離せません。実際にその地に立って、そのイメージが裏切られなかったことは、本当に幸福でした。ちなみにこの曲はケンタッキー州の州歌になっているのだそうです。
ところでHPでフォスターの記事を見ていて、面白い発見をしました。彼の作品『金髪のジェニー』の原題は、「Jeannie with the light brown hair」というのだそうです。これを「明るい茶髪のジェニー」と訳していたら、この曲があれほど日本で愛されることはなかったでしょう。原文の意味を踏まえた大胆な意訳ですね。
「昔の人は偉かった」と殊更に言うつもりはありませんが、外国語の訳語を見ていて、特に語源を踏まえた翻訳を知って、「見事だなあ」と思うことはよくあります。この前、シンデレラを「灰かぶり姫」と訳している古い本を見て感心しました。Cinderellaの語源は英語で言えばcinder(消し炭)。「いつもかまどのそばで働いている女性」という元の意味を押さえた上での訳語でした。
ケンタッキーの話から大きく脱線してしまいました。申訳ありません。
2010年2月12日 (金)
日本画家・千住博さんの作品集出版記念サイン会がニューヨーク・マンハッタンのアート専門書店「リゾーリ・ブックストアー」で開催されました。
日本画の魅力を世界に広め数々の賞に輝きながらも、絶えず新しい表現方法を模索し続け、意欲的に活躍している千住さん集大成とも言える作品集が刊行されたのです。
アメリカのアートシーンに衝撃を与え、「ニューヨーク・ギャラリーガイド」の表紙を飾った「フラットウォーター」、東洋人として史上初の受賞を果たしたベネチア・ビエンナーレの「ウォーターフォール」、大徳寺聚光院やフィラデルフィア松風荘の襖絵などの代表作を始め、初期の作品から最近の話題作まで、千住さんのすべてがぎっしりと詰まった画集です。
「情熱トークUSA」にご出演頂いた時と変わらず、溢れんばかりのエネルギーでアートと向き合っている千住さんにお目にかかり、新たな元気と勇気を頂戴しました。
進化し続ける千住ワールドに、心からのエールを送らせて頂きます。
野村美由紀(キャスター)
2010年2月10日 (水)
今日2月10日(水)、NY周辺は朝方から大変な雪となりました。こうした時、我々が最も心配するのは、衛星直接受信でテレビジャパンをご覧になっている方が、アンテナに積もった雪の影響で放送をご覧になりにくくなっているのではないかということです。
幸い、今のところ
受信障害の問い合わせはあまり寄せられません。おそらく皆様、大雪で障害が起きやすくなっていることを、よく承知されていたのだと思われます。
写真はテレビジャパンの入っているビルの屋上アンテナで、ここで日本からの伝送を受信しています。(ちなみに、このように屋上にアンテナを置けるビルはマンハッタンではごく限られています。)
セキュリティのきわめて厳しいダウンタウンでは、屋上に出ること自体、簡単なことではありませんが、テレビジャパンではビルの管理会社と信頼関係を構築して、大雪の時は1日に何回か、アンテナの雪掻きをさせてもらっています。
そして雪掻きの時使うのが、写真ではちょっと見えにくいですが、ほうき。最先端の衛星通信を支えているのが、昔ながらのほうきというところがちょっと面白いでしょう?
この季節、雪に伴う受信トラブルが我々の方でもご家庭の方でも発生しないか、気が休まりません。
2010年2月 5日 (金)
去年の末に突如東海岸を襲った大雪のことを書いた記事の中で、斎藤茂吉(写真)の晩年の歌のことに触れたことがあります。それをお読み下さった何人もの方から「今時、茂吉を読むのか」と珍しがられました。
歳月の力というのは恐ろしいもので、その時どんなに読まれた文でも、時間とともに刻まれた刻印が風化していくのは避けがたいことでしょう。
若い頃愛読した文章を年齢を重ねてから再読して、その浅薄さに愕然としたという経験は、多くの方がお持ちではないかと思います。しかし一方で、深く鋭く刻まれた跡は、時が経ても消えることはないのでしょう。
経済学者の中山伊知郎氏と言っても、もう記憶されている方は少なくなってしまったでしょう。昭和30年代の初め頃、氏が同じく経済学者の東畑精一氏などと文学談義を交わしていて、「今から100年200年経った時、残っている文学者は誰だろうか」という話になったことがあったそうです。中山氏たちの結論は「斎藤茂吉かなあ」ということだったと、どなたかの随筆で読んだことがあります。
なるほど。
中山氏も東畑氏もいずれも当代随一の学者でしたが、今そうした立場にいる方々が集まったとして、その場でこんな書生談義を交わすことがあるのでしょうか。世紀が変わってもう10年。社会の指導層に幅のある方が減ったのは間違いないのかもしれない、という気がします。
2010年1月29日 (金)
去年の秋、この欄で、北海道で開かれる江差追分全国大会のことを書いたことがあります。それを読んでくれた北海道に住む友人が、歴代優勝者の演奏が収録されたCDを送ってくれました。本当に有難いことです。
深夜聞いていると、文字通り耳の底に北の波涛の音が蘇ってきます。
さすが日本一のいずれ劣らぬ名演ばかりですが、中でも素晴らしいのが第41回(2003年)優勝の寺島絵里佳さん、44回(2006年)優勝の絵美さん姉妹の追分です。堂々とした、まさに横綱相撲といった感じの歌声です。
ジャケットを見ると、お姉さんが歌う時は妹さんが、妹さんが舞台に立つ時はお姉さんがソイ掛けを務めています。きっと合の手を入れる方のほうが、ヨリ緊張したのではないでしょうか。
寺島家にはもうひとり妹さんがおられるようですが、その方にもきっと大きな期待が掛けられているでしょうからさぞ大変だろう、などと余計なことまで考えてしまいました。
2010年1月22日 (金)
12月から1月上旬はパーティーや集まりの多い季節でした。先日、いくつかの国から建築関係の方が出席されていた会でこんな話になりました。「それぞれの国でNational Emblemと呼べる建物は何か」という話題でした。
本来「国の象徴」とはもっと観念的なもののことでしょうが、あえて建築物でそれを探してみるとどんなものになるか、という知的な(?)遊戯でした。
アメリカやヨーロッパだったら、象徴的建造物を探すのはそんなに難しくないかもしれません。イギリスならセントポールとかビッグベン。フランスなら凱旋門かヴェルサイユ。アメリカなら自由の女神とかワシントン・モニュメントとか。
アジアでも中国なら紫禁城は動かないところでしょうし、カンボジアは間違いなく「カンボジアの誇り・アンコールワット」でしょう。
しかし我が日本はとなると、万人が納得する「これが日本だ」という建造物がなかなか見当たりません。桂離宮はどうかと言う人もいましたが、現実にほとんど誰も入ったことのない建物を「代表選手」に推すのはどうかという気もします。東京タワーはあまりに近代的でしょう。
皇居、大阪城などといくつも候補が上がったあと、「法隆寺かなあ」という意見が大勢を占めました。私は「東大寺南大門」。あの重厚でいて颯爽とした姿に強く惹かれるのですが、大方の支持を獲得するには至りませんでした。
「いっそ富士山はどうだ」と言う人までいて、漱石の『三四郎』の冒頭で広田先生が「日本が自慢できるものは」としてこの山のことを挙げたところを思い出して、おかしくなってしまいました。
2010年1月15日 (金)
まもなく阪神・淡路大震災から15 年。亡くなられた方々、被害にあわれた方々のご冥福とご平安を、あらためて心からお祈り申し上げます。
取材者として私も現場に入りましたが、そこで特に印象的だったのは、あのような状況においても平静を保ち、支えあう人々の暖かさでした。人間や社会の真価は苦しい時にこそ顕れるものなのでしょう。
昨年もちょっと書きましたが、よく思い出すのは、神戸の華僑の方から聞いた「患難知交」という言葉です。「苦しい時にこそ人間同士の本当の結びつきは生まれる」という意味でしょう。
北米にも関西ご出身の方、そこにご親戚・ご友人をお持ちの方が多いことと思います。テレビジャパン一同、あらためて心から哀悼の意を表します。
2010年1月14日 (木)
新年明けてもう既に2週間経ちましたが、改めて、、
明けましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます!
New Year resolution(新年の決意)をたてられた方、どうかこの年に、無事達成されることを願っております。
2009年11月1日から2009年12月31日までにテレビジャパンに新規加入頂いたお客様へ
紹介キャンペーン・リベート申込み手続きはもうお済みでしょうか?
この期間中、新規でテレビジャパンを視聴開始された皆様、またその方を紹介頂いた現視聴者の皆様へ、テレビジャパンより$25のキャンペーン・リベートチェックを差し上げております。
申込み書類は、2010年2月末日までNYオフィスにて受付けております。リベート申込み用紙が手元にない等、手続きについてご質問等ございましたら、お気軽にカスタマーサービスまでご連絡下さい。 たくさんのお申込みお待ちしております!
2010年1月 6日 (水)
いつもテレビジャパンをご覧頂き
ありがとうございます!
第一部に続き、「私の青春時代 第二部」へお寄せ頂いたメッセージをここでご紹介させて頂きます。
第二部は、"夢と希望を胸に〜戦後の日本に見る若者たちの姿〜"
12月22日放送。
戦後渡米した日本人のお話の中で、頻繁に登場するのが、GHQを
頂点とする進駐軍(米軍)のお話です。

TV JAPAN 制作の「わたしの青春時代」拝聴しました。番組を見て、私の伯母で、すでに亡くなっていますが、戦前にカナダへ移住し三人の子供たちを立派に育てた伯母の苦労話を思い出させるものでした。伯母は18歳の時滋賀県から、同じ村の出身者の青年のもとへ嫁いだのです。
戦争中カナダの中部へおくられ慣れない農作業をしたこと等息子を苦労して医学部へいれ医者にした事など、涙をたたえて聞かされました。1974年にカナダへやってきた私とは、比べものにならないほどの苦労をしております。伯母は私の母の姉で、私の母はいつも伯母の話を日本に居る時聞かされておりました。母は伯母のことを"アメリカにいる姉さん"と呼んでいたものですから、伯母はアメリカ合衆国のどこかに住んでいるものと思っていたのですが、実際はカナダのバンクーバーに住んでおりました。
2010年1月 5日 (火)
あけましておめでとうございます。
いつもテレビジャパンをご覧頂き
ありがとうございます!
年末に私共で自社制作した番組「私の青春時代〜第一部、第二部」を放送しました。放送後、視聴者の皆様よりたくさんの反響を頂きました。ありがとうございます!
お寄せ頂いたメッセージをここでご紹介させて頂きます。
第一部は、"ロサンゼルス〜望郷と希望の詩(うた)にのせて〜"
12月15日放送。
戦時中、収容所で生活した日本人や日系人の方の「戦後」について
二人の女性にお話を伺いました。
戦争の話は親や主人の親や姉からも随分と話を聞いて居ります。沖縄県民は又、こちらの日系人とは別の意味で戦争の被害にあって大変だったようです。
うちの主人は戦争中の2月に生まれて運が強く赤ちゃんながら姉妹が死んだ中で生き延びて来た人です。何度も13年上の姉に田んぼの中に捨てられたそうですよ。でも、再度親が拾いに来て生き延びています。とても不思議な気がします。
(A. Mさん カリフォルニア州)
私の青春時代友達にも話して8時45分に見ました。まだ、DVDもVideoも無い頃のものをどう編集するのかと思っていましたが、望郷の写真は過去をぼかした写真を入れたり、又Endingがとても素晴らしい、夕陽と2人の人影、私はダンスのEnding にとても力を入れますけど、総て最初と最後は大事と思います。
非の打ち所ガ無いほど、素晴らしい出来でした。内容も特に詩人のお婆さんは素晴らしい方ですね。85歳位かと思いますが、大変興味深く見ました。唄の方は、淡谷のりこや、古い歌手が出て、懐かしかつたです。
第二部も忘れずに見ます。お友達も皆同意見でした。
Japan TVさんは優秀な人材が揃っているようですね。では益々良い番組を作ってください。
(F.Yさん カリフォルニア州)