2010年4月 1日 (木)
4月、日本流に言えば新年度、皆様如何お過ごしでしょうか。アメリカ、カナダでも、新しい学校や職場で新生活のスタートを切られたた方も多いことと思います。
さて、私事で恐れ入りますが、私はこのたびテレビジャパンを離れることになりました。皆様から頂きました数々のご厚情に、この場を借りまして心から御礼申し上げます。
この欄につきましては、「放送と関係ないことを何でグダグダ書いているんだ」というお叱りの一方で、「引用の文章や詩歌が面白い。こういうのもいいんじゃない」という暖かいお言葉もあって、調子に乗って続けてまいりました。ここにお目汚しをお詫び申し上げますとともに、頂戴いたしましたご叱正と激励に心から感謝申し上げます。
これからは日本の名古屋の教育機関で、若い人たちと一緒にアメリカや日本のメディアや、その背景としての社会について勉強して参る予定です。
最後になりましたが、皆様のますますのご健勝とご発展を心よりお祈り申し上げます。今後ともテレビジャパンを、何卒よろしくお願い申し上げます。
テレビジャパン 放送担当副社長 河村雅隆 拝
※ 映像はフリードリヒ「雲海の上の旅人」
2010年3月31日 (水)
先日のこの欄でベートーヴェンの第5交響曲のことに触れたら、何人もの方が「自分もベートーヴェンをずっと聴いているんだ」と、声を掛けて下さいました。中には「ベートーヴェンは自分の悩みを正当化するからねえ」と、訳の分からない(?)感想を口にされた方もいました。
人を好きになることに理由はないように、どんな作曲家に惹かれるかといったことにも理屈はないのでしょう。ただ、私がベートーヴェンを好きになったわけをあえて挙げれば、彼が間違いなく努力型の天才だったこと、その音楽は構成がはっきりしており、隅々まで緊張感が漲っていることなどでしょうか。
ベートーヴェンの音楽の持つ緊張感について、こんなな話を聞いたことががあります。
1941年6月、ヒトラーのナチスドイツが独ソ不可侵条約を破って、突如ソ連に侵攻した時のこと。緊急ニュースに続いて、ドイツのラジオが放送したのはこの5番だったのだそうです。そして、ソ連側のモスクワ放送が開戦の第一報を速報したあと流したのも、同じこの第5番でした。今戦っているその相手国の音楽を!
それだけの重い瞬間を支えられると考えられた音楽は、誰が考えてもこの第5交響曲しかなかったということなのでしょう。ベートーヴェンにとっては迷惑千万な話でしょうが、こんなエピソードもこの曲の魅力と魔力を語ってくれるようです。
2010年3月26日 (金)
「人を侵さず人に侵されず」というふうに生きていきたいものですが、組織や社会の中で暮らしていると、やむを得ず言いたくもないことを口にしなければならないことも起きてきます。
以前の職場で、チンタラチンタラ仕事をしている若い人に、「そろそろ君も発奮すべき時期にさしかかっているんじゃないか」というような話をした時のことです。
まともに聞いてくれて有難かったのですが、最後に「あのひとついいでしょうか。そのプンプンというのは私に腹を立てているということでしょうか」と言われて、ガクッとなりました。そして、「発奮」などという言葉はもう死語になっているのだなと思いました。
私がこの言葉を知ったのは、山本有三氏の『ミレーのハップン(発奮)』という、年少者向けの文章を読んだのがきっかけでした。
売れない画家だったミレーは、心ならずも裸体画を描いて糊口をしのいでいました。ある日、自分の作品が出ている画廊の前に立っていた時のこと。隣で自分の画を見ているた男たちの会話が、彼の耳に飛び込んできました。
「ミレー?聞かない名前だな。どんな画家なんだい」「女の汚い裸ばかり描いている男さ」
それを聞いたミレーは直ちにパリを離れ、念願としていた農村の暮らしを描く道に突き進んだというのです。
先日、NYのメトロポリタン美術館で久しぶりにミレーの画に接して、大昔に読んだこの文章のことを思い出しました。
この世の中、きれいなことばかりは言っていられないのですから、せめて少年の時は感動とか友情とか、そうしたことを描いた文章や作品に接したり導いたりする方がいいのではないか。そんなことを思いました。
2010年3月19日 (金)
これまでの人生の中で、最も繰り返し聞いた音楽はと言えば、多分ベートーベンの交響曲第3番と5番だと思います。何百回も聴いてきたはずなのに、聞くたびに新たな発見と感動があります。
先日、NYのカーネギーホール(写真)で、バレンボイム指揮、ウィーンフィルの5番を聞く機会がありました。きらきらと輝くような演奏で、オーケストラも聴衆も、現代音楽の時とは違ったノリに心地良く浸ることができました。
ひとつだけ困ったのは、ひとつの楽章が終わるたび、後ろの席にいた音楽通らしい日本人男性の「ウン、今の楽章は何分何秒。この前のNYフィルの5番の時は何分だったな」という「ご説明」が聞こえてきたことです。
何度も耳にしているうち、何やら陸上の中継でラップタイムを聞かされているような気分になってきました。日本人の音楽ファンは皆お行儀が良くて、どこでも評判は上々ですが、こういうのはどうも・・・。その若い男性は女性と一緒のようでしたから、ちょっと肩に力が入っていたのかもしれません。
2010年3月12日 (金)
この欄をご覧いただいている方から、「内容はともかく、時々引用される文章や詩歌のところはいいね」という評をいただいたことがあります。毎週書いている側からすれば、どんな部分であれ、反応があるというのは嬉しいものです。
この引用というのは、案外(?)重要なものかもしれず、イギリスの歴史家だったかに、「引用によって人類の知識と知恵は受け継がれていく」という言葉がありました。
本当に、切れ味の良い引用が散りばめられた本というのは魅力がありますね。
昔番組を作っていた頃、先輩から「資料を引用するなら必ず原典にあたれよ。『孫引き』は絶対だめだぞ」と厳しく指導されました。その時は「孫引き」という言葉も知らず、あとでこっそり字引を引いたことを覚えています。
上の歴史家の言葉も孫引きで知ったのかもしれません。先輩に怒られるだろうなあ。
(写真はNY公共図書館)
2010年3月 8日 (月)
会社の同僚に毎日ペンシルベニア州から通勤して来ている人がいます。自宅から会社までdoor to doorで2時間。東京だったら珍しくないかもしれませんが、アメリカではきわめて長い通勤時間と言ってよいでしょう。
彼によれば、「電車の中でパソコンを打ったりするので、通勤時間がほとんど仕事時間になっている」とのことで、毎日の往復4時間をそんなに苦にしている様子でもありません。
ただ、週の後半になってくるとさすがにバテてくるようで、「朝5時半に起きると、ベッドの端に座ってじっと何分かうつむいて、その後エイヤッと立ち上がるんだ」と話していました。その気持、わかりますね。私も木曜、金曜になってくると、朝同じようなことをしていますから。
同僚のその話を聞いて思い出したのが、英語のget up on the wrong side of the bed という熟語です。「いつも決めているのと違う側から起き上がると気色が悪い」ということから、「ご機嫌斜めだ」という意味なのだそうです。
面白い言い方だと思って記憶していたのですが、アメリカ人が本当に使うかどうかは確かめたことがありません。日本での学生時代に覚えた熟語をアメリカで使ったら、アメリカ人に「そんな言い方は初めて聞いた」と言われたことは何回もありますから。
ただし、私は熟語や文法をちゃんと勉強しないまま、最初から実用的、口語的言い回しばかりを始める一部の語学教育には反発しているのですが。
2010年2月26日 (金)

時々深夜、民謡のCDに耳を傾けることがあります。東日本編・西日本編の2枚組ですが、圧倒的に東の曲が良いですね。
特に好きなのが『秋田おばこ』で、今は故人になった長谷川久子さんの自在な歌いぶりに惹かれます。聴くたびに、これだけの節回しを身に付けるまでには、どれだけの努力があったのだろうと思います。
最近、この『秋田おばこ』に関して面白い発見をしました。友人が昭和初期に吹き込まれたという、この歌の録音を聞かせてくれたのです。それは、現在の華麗で複雑な節回しとはまったくと言っていいくらい違う、素朴なメロディーでした。
それを聞きながら、この曲がここまで洗練されるまでには、記録に残っていない無数の人たちの、真剣な試行錯誤があったのだろうということを思いました。
職場で先輩の残した旧い書類を眺めていて、「どうしてこんな妙な取り決めを結んだりしていたのだろう」などと、不思議に思うことがあります。でもそれは、その時その時でベストの選択だったのでしょう。そしてそれらがあって今があるのだと思います。
『おばこ』の古い録音のことから、妙な感想になってしまいました。
2010年2月20日 (土)


厳しい寒さが続きますが、皆様の地域は如何でしょうか。
衛星直接受信でテレビジャパンをご覧の方から、「雪が固まって、パラボラが使えなくなってしまった。お湯で氷を溶かして、再びテレビジャパンが見られるようになった時は、本当に嬉しかった」などというお便りが届くのも、毎年今頃です。
そうしたお声を聞くたび、身の引き締まる気がします。
前にもちょっと書きましたが、気温については、華氏の気温をいつまでも摂氏に「翻訳」していてはだめで、華氏は華氏として受け取らなければだめだと思っています。外国語を読む時と同じことです。
そんな努力が実を結んで(?)、何となく華氏の感覚がつかめてきたような気がします。
華氏に慣れてきたはずなのに、この前中西部の気温表示で0度という数字を見た時は、「そうか(摂氏の)0度か」と一瞬思ってしまいました。華氏がものすごく低い数字になっていると、こうしたことが起きるようです。身に染み付いたものはなかなか変わりませんね。
(写真は摂氏・華氏両用温度計と冬のセントラルパーク)
2010年2月13日 (土)

ケンタッキーにお邪魔した時のことを先日書きました。「旅は3回する」と言いますが、旅に出る前、旅行している間だけでなく、帰ってからも、いや後の方が深く旅をしている感じがします。
ケンタッキーは私にとって、フォスターの名曲『ケンタッキーの我が家』のイメージと切っても切り離せません。実際にその地に立って、そのイメージが裏切られなかったことは、本当に幸福でした。ちなみにこの曲はケンタッキー州の州歌になっているのだそうです。
ところでHPでフォスターの記事を見ていて、面白い発見をしました。彼の作品『金髪のジェニー』の原題は、「Jeannie with the light brown hair」というのだそうです。これを「明るい茶髪のジェニー」と訳していたら、この曲があれほど日本で愛されることはなかったでしょう。原文の意味を踏まえた大胆な意訳ですね。
「昔の人は偉かった」と殊更に言うつもりはありませんが、外国語の訳語を見ていて、特に語源を踏まえた翻訳を知って、「見事だなあ」と思うことはよくあります。この前、シンデレラを「灰かぶり姫」と訳している古い本を見て感心しました。Cinderellaの語源は英語で言えばcinder(消し炭)。「いつもかまどのそばで働いている女性」という元の意味を押さえた上での訳語でした。
ケンタッキーの話から大きく脱線してしまいました。申訳ありません。
2010年2月 5日 (金)
去年の末に突如東海岸を襲った大雪のことを書いた記事の中で、斎藤茂吉(写真)の晩年の歌のことに触れたことがあります。それをお読み下さった何人もの方から「今時、茂吉を読むのか」と珍しがられました。
歳月の力というのは恐ろしいもので、その時どんなに読まれた文でも、時間とともに刻まれた刻印が風化していくのは避けがたいことでしょう。
若い頃愛読した文章を年齢を重ねてから再読して、その浅薄さに愕然としたという経験は、多くの方がお持ちではないかと思います。しかし一方で、深く鋭く刻まれた跡は、時が経ても消えることはないのでしょう。
経済学者の中山伊知郎氏と言っても、もう記憶されている方は少なくなってしまったでしょう。昭和30年代の初め頃、氏が同じく経済学者の東畑精一氏などと文学談義を交わしていて、「今から100年200年経った時、残っている文学者は誰だろうか」という話になったことがあったそうです。中山氏たちの結論は「斎藤茂吉かなあ」ということだったと、どなたかの随筆で読んだことがあります。
なるほど。
中山氏も東畑氏もいずれも当代随一の学者でしたが、今そうした立場にいる方々が集まったとして、その場でこんな書生談義を交わすことがあるのでしょうか。世紀が変わってもう10年。社会の指導層に幅のある方が減ったのは間違いないのかもしれない、という気がします。